- 短大閉鎖という現実と向き合って
私が勤める短期大学が、数年後に閉鎖されることになりました。少子化の影響、地方の人口減少、大学間競争の激化――表面的な理由はいくつも挙げられます。しかし、現場に身を置く者として感じている本質的な問題は、首脳陣の「時代認識の欠如」です。
この短大は、地域に根ざし、実践的な学びの場を提供してきました。私は図書館情報学を担当し、学生と一緒に資料を探し、考え、未来に向けて準備する時間を大切にしてきました。学生たちの目の輝きに、教育の意味を見出してきた日々でした。
けれども、教育の中身とは裏腹に、経営層の視点は時代に取り残されているように感じられてなりません。検索エンジン、そしてGoogle広告に代表される情報環境の激変に、全くと言っていいほど対応できていない。「学生が来ない」のは単に人口減少のせいではなく、発信力の不足、ターゲット戦略の欠如、自校の魅力を伝える手段をまったく持っていないことが大きな要因ではないでしょうか。
しかし、首脳陣にはそうした危機感が感じられません。まるで現代という情報社会を理解していない「浦島太郎」のように、かつての成功体験や価値観にとらわれたまま、静かに沈みゆく船を見つめているようです。
そして、図書館にある貴重な蔵書の扱いにも、同様の無関心が見られます。文化的にも学術的にも価値のある英語書籍群が、引き取り先も見つからぬまま廃棄される可能性がある。これは、教育機関としての自覚が問われる事態です。
教育機関が閉じるというのは、建物や人員が消えるだけではありません。知識の蓄積、学びの歴史、人とのつながり――そうした「見えない資産」までもが失われるのです。私たちは、そこにもっと強い危機感と責任感を持つべきではないでしょうか。
閉鎖が決まってしまった今、私にできることは、せめてこの現実を記録し、次の時代に警鐘を鳴らすことです。同じ過ちが繰り返されないよう、教育とは何か、図書館とは何か、そして情報社会とは何かを、あらためて問い続けていきたいと思います。